1954年3月1日、アメリカは太平洋のビキニ環礁で水爆の実験をしました。放射線を出す物質が降って、マーシャル諸島のたくさんの人たちや、魚をとりに行っていた日本の船が被ばくしました。
アメリカは1958年までに67回の核兵器の実験をしました。島の人たちの健康に問題が出ました。この実験のために、ほかの場所に引っ越しさせられた人たちは、今も帰ることができません。
実験から70年になった1日、マーシャル諸島で式がありました。島の人は「私たちの犠牲や苦しかったことを忘れてはいけません」と話しました。泣いている人もいました。
日本の船に乗っていて、がんで亡くなった人の娘も式に出ました。この女性は「核兵器の実験はだめだと怒りたくなりました。この気持ちをほかの日本人に伝えたいです」と話しました。